芳賀紀行物語 Part2 − 無冠の帝王 −

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WSB『芳賀紀行:無冠の帝王』



[ Part1はこちら ]

ヤマハでの第二の人生
翌年、4気筒1000ccへのレギュレーション改正を機に、日本メーカーらがスーパーバイクへと戻ってきた。
ヤマハはYZF R1機で復活し、そして、芳賀もヤマハに復帰した。しかし、ヤマハ勢にとってのシーズンは出足の遅いものとなった。マシンは成熟しておらず、ピレリのタイヤはあまりに消耗が早すぎた。芳賀の方はと言えば、マシンにもオーリンズのプレッシャーライズドフォークにも動揺しているかのようだった。しかし、ただ者ではない。シーズン中盤には、そのライダー人生を際立たせる名勝負…ブルノ、ブランズ・ハッチ戦での勝利が到来する。
熱狂もののブルノ戦では16位からのスタートを切り、数ラップ目でオーストラリア選手トロイ・コーサーを抜いた。そして、ヤマハ復帰後の初勝利に向け独走で突っ走って行ったのだ。




英国ブランズ・ハッチ戦ではコーサー選手への(そう、いつも彼なのだ)オーバーテイクで観衆は沸き返った。直線コースの終わりでアウト側からコーサー選手を肩で押しのけ抜きさって行った。
このヤマハ時代は、芳賀のキャリアにおいて完全な『リトマス試験紙』状態だった。驚異的なリザルト、もしくは、無個性なパフォーマンスか予期せぬ転倒。
2007年、芳賀は再びチャンスをふいにする。トーズランド、ビアッジとの三人勝負では模範的な美麗パフォーマンスを見せつつも、シーズン最後、わずか2ポイント差でトーズランドにチャンピオンタイトルをさらわれてしまうのだ。

痛手は大きかった。タイトルが幾度となく両手からすり抜けてゆく。打撃は翌年のシーズン序盤に影響をきたした。激しい転倒にパッとしないパフォーマンス…芳賀は早々にタイトル争いから放り出された。しかし、他に類を見ないと言う点でも偉大な選手なのだ…芳賀と言うのは。総合順位を上げながら、稀有なパフォーマンスを披露し、そして、歴史は繰り返す。ローマのヴァッレルンガ戦でベイリス相手に、肩と肩…車体と車体で競り合う稀有なまでに美しい対決を繰り広げたのだ(下記映像)。ベイリス選手でさえ手に負えないこの操縦レッスンは、結局、曲線コースで同選手が転倒ミスを起し終わった。



ドゥカティ移籍
芳賀はタイトルを欲した。なんとしてでも獲得したかった。2009年、故にドゥカティへの移籍を決意。マシンは馬力が強く信頼がおけた。そして、チームは世界チャンピオンのそれなのだ。ベイリスは前年に引退している。すべては真の覇者とならんがためのシーズンに見えていた。しかし、ここで新たに登場したのがアメリカ人ライダーのベン・スピース…マシンは、あのヤマハ。厄介なことになりそうだった。ヤマハ勢は抑えた走りを保ち、皆を惑わすのだ。
2009年がフィリップアイランドで開幕した。まずは1098R機を駆る芳賀の勝利から始まり、スピースの方はと言えば16位ゴール。ヤマハの手綱を取ったこのライダーが、一体どれほどの脅威をもたらすと言うのか?それは実のところ、第2レースであっという間に証明される。スピースは第1コーナーのアウトから芳賀を引きはがし、そのまま勝利をものにしたのだ。

怪物スピース。スーパーバイクは、AMAからやって来たこの無口な若者に熱狂した。
そしてアッセン戦。最終ラップのシケイン外側で、サムライ芳賀は二度目の大きな痛手を被ることとなる。
テクニカル・トラブルと激しい転倒に見舞われながらも、シーズン中盤にはスピースに88ポイントの差をつけるに至ったのだが、運命と言うものは常に突然襲いかかってくる。まずはドニントンパークで最初の痛手を負うこととなる。第2レース中、芳賀は第8コーナー『Coppice』で激しく転倒し、脊椎骨折を負った。どんどん縮まってゆくポイント差。そして迎えたポルトガル最終戦。芳賀はスピースに10ポイントの差をつけていた。後は、それなりにレースをこなせば良いだけだ。しかし、芳賀には不安と疑いがあった。ゼッケン41のボックスでは何かがしっくりこなかった。スーパーポール終了後のダヴィデ・タルドッツィ(当時のドゥカティ・コルセマネージャー)の意見は明瞭だ。
「他のドゥカティ機は前にいる。問題はマシンにはない。」

問題は明らかに芳賀の頭の中にあった。
プレッシャーに耐えられない。そして、第1レースで酷いスリップをしてしまう。またもや棒に振ったのだ。
ベン・スピースが勝利を獲得。第2レースでもそこそこの順位を確保し、芳賀が手にしていたかに見えていてタイトルを持って行ってしまった。無冠の帝王への、幾度目とも知れない打撃だった。
芳賀は翌2010年もXerox Ducatiチームから参戦し、2011年にはPata Apriliaチームへと移るが、この2年間、直情型の熱狂スピードライダー…『Nori-chan』こと陽気なライダーの火はどんどん消え入るばかりで…この2012年についての結論が出るまで、その状態が続くのか。
後1ヶ月ほどでシーズンが開幕すると言う現在、無冠の帝王には今なおシートが決まっていない。

[ 完 ]


(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:Gpone 2012年01月11日

今年はぜひ、青山選手と芳賀選手の戦いを見てみたいもんです!!

引き続き芳賀選手、今年の行き先…本当に早く発表してね!クリックPrego
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2 Responses to 芳賀紀行物語 Part2 − 無冠の帝王 −

  1. vale46 2012年1月18日 at 3:30 PM #

    この時期にまたシートが決っていないのは非常に残念です 涙・・・
     芳賀はいつかはSBKチャンピオンを取ってくれると思って応援しています
     がんばれぇぇぇぇぇぇ

  2. vale46 2012年1月18日 at 3:30 PM #

    この時期にまたシートが決っていないのは非常に残念です 涙・・・
     芳賀はいつかはSBKチャンピオンを取ってくれると思って応援しています
     がんばれぇぇぇぇぇぇ

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