MotoGP

メランドリ『国籍のせいでホンダファクトリーに入れなかった』

『メランドリ:国籍のせいでホンダファクトリーに入れなかった』

マルコ・メランドリの経歴は以下のとおり。

1998年、125ccクラスにホンダ機でデビューし、総合3位を獲得。
2002年、250ccクラスでのタイトルをアプリリア機で獲得。
2003年、モトGPクラスにヤマハ・ファクトリーチームでデビュー。
2004年、ヴァレンティーノ・ロッシのヤマハファクトリー加入に伴い、ヤマハプライベートチームに移動。
2005年、ホンダ・プライベートチームに移籍し、総合2位を獲得するもののファクトリー昇格できず。
その後、ドゥカティやカワサキを経て、2011年にSBKに移籍し、最高リザルトで総合2位を獲得。2020年に完全引退。

★最近、メランドリ元選手が『La Gazzetta dello Sport』のインタビューで、自身のキャリアについて次のように話した。

【モトGPデビューはヤマハ機だったが…】
「当時のヤマハ機は今とは違い、電制システムなしで操縦するのは至難の業だったんですよ。上手く御さなければ、ケガをしてしまうようなマシンでね。
2004年にはヴァレンティーノ・ロッシが入って来たんで、こっちはヤマハ・テック3の方へ移動になりました。」

【2005年にホンダ・グレジーニに移籍し…】
「あの時は、KTMからのオファーを断って、ファウスト・グレジーニの回答を待ってたんですよ。
当時のマネージャーが厄介な人だったんで(※ローリス・レッジャーニ)、ファウストからは『彼との話し合いなんて無理だよ』と言われ…最後は僕がじかに交渉しました。」

【ホンダ・グレジーニとは2年契約で、3年目の契約更改オプションも付いてたそうで…】
「ホンダでは4選手中4番目の立ち位置で始めたものの、結局、その年の総合2位になったんですよ。
だから、2006年にはファクトリー昇格できるはずなのに、スペインチーム向けの国籍ではなかったもんだから…。
結局、ダニ・ペドロサが昇格したんですよ。」

【2008年にはドゥカティファクトリーに移籍したものの、悲惨な結果となり…】
「2006年シーズン中盤、ドゥカティとの交渉が始まり、リヴィオ・スッポ(※当時のドゥカティ・マーケティングマネージャー)がオファーを出してきたら、驚いたことにグレジーニが同じようなオファーで引き止めてくれたんですよ。
それで、ドゥカティとはとんでもない契約を…再来年の契約をしたと言うわけでねぇ。」


(参照サイト:『Tuttomotoriweb』)
(Photo:Instagram

ペトルッチが『どん底からてっぺん目指して頑張って、最後は最下位で終わる(笑)』…って言った話は、『無料note記事』でどうぞ!

POSTED COMMENT

  1. ピロリカボン より:

    ドカでのメランドリは酷かった。
    バイクのせいなんだけど
    ストーナーは乗りこなして
    優勝してたもんだから
    話がややこしくなって
    可哀想だったな。

  2. 鯖通り より:

    波乱万丈なキャリアでしたね
    確かにドカではなくてホンダワークスだったら…とは思います。

  3. maxtu より:

    言っちゃ悪いがペドロサとメランドリならHONDAの選択は正しかったと思うけど(笑)
    今もKTMで開発に勤しんでるくらいだし引退後もその差は開くばかり

  4. タディの星に願いを より:

    スポンサーシップが露呈してたね イタリア系のグレジーニさんとこに収まるしかなかったわけだ でもエリアス共にロッシを負かしたりいいレースしてた。

  5. fuji より:

    ローリス・レッジャーニそんなヤバイ奴だったのか。グレシーニと現役時代は重なるけどグラスが違うから因縁は無いと思うが。

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