『スピーズ:本当はずっとアメリカ選手権に出ていたかった…』
★ベン・スピーズ(アメリカ出身、35才)は珍しいライディングスタイルの高速ライダーで、その両肘を突き出した操縦ゆえに『Elbowz』の異名をとった。
★スピーズ元選手は2006〜2008年、マット・ムラディン天下のAMAスーパーバイク選手権で3連勝し、2009年にデビューしたSBKでもいきなりタイトルを獲得した。
2010年にヤマハ・テック3よりモトGP昇格し、インディアナポリス戦ではPPを獲得、決勝も2位。翌2011年のアッセン戦では初優勝を決めた。
★2011年フィリップアイランド戦での転倒で頭部を強打、また、2012年セパン戦で右肩を脱臼し、その後、負のスパイラルへと突入してしまう。
2013年にドゥカティ・プラマックに移籍したものの、肩の負傷が癒えず、引退となった。
★スピーズ元選手が最近のインタビューで、次のように語った。
【ヨーロッパには来たくなかったそうで…】
「誤解しないでもらいたいんですが、SBKのデビュー年については完璧だったんですよ。見事にことを運び、タイトルを勝ち取ったんですから。
ただ、正直に言うなら、AMAに出ていた時の方が僕はずっと幸せだったんですよ。従兄弟と一緒にキャンピングカーで、アメリカ中を遠征して歩いてね。
問題は、僕が飛行機嫌いだと言うことなんです。世界選手権キャリアで、あれが一番嫌でしたね。どうしてかは分からないんですが、とにかく怖かったんですよ。
可能な限り、今も飛行機での移動は避けるようにしています。」
【ところが、2007年末よりアメリカが経済不況となり、AMAも大打撃を受け、貴方も将来について考え直さなければなくなった…】
「アメリカが経済崩壊してしまった時、メル・ハリス(『Yoshimura』のチームマネージャー)が契約更改はできないと言いながら、ヨーロッパ行きを勧めてきたんです。
それでヤマハのアメリカ支部に連絡し、なんとかアメリカで参戦を続けられないか話し合ってみたんですが、やはりヨーロッパに渡って世界選手権に出るよう言われ…それで、スーパーバイク(SBK)に出ることにしました。
もし自分で決められる立場だったら…2008年の経済崩壊がなかったら、絶対にヨーロッパには行かなかったでしょうね。」
【世界選手権には出たくなかったの?】
「出たくなかったわけではないし、自分の戦闘力に不安を感じていたわけでもないです。
ただ、けっこう内向的な方だし、自分のキャンピングカーで従兄弟と遠征旅行をして歩くのが好きだったんですよ。アメリカ国内の移動なら、飼っていた犬も連れて行けたし。
別にヨーロッパに対してどうこう思ってたわけじゃなく、ただ、遠征旅行のスタイルが変わってしまうって分かってたもんですから…。」
(参照サイト google 翻訳:『Moto.it』)
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AMAの鈴木からSBKがヤマハになった理由がわかって
満足です。
移動の飛行機が嫌いというのも意外でした。
MOTOGP参戦前のEローソンの対談を思い出して、
似た者同士なのねと実感しました。
世界を飛び回るサーカス生活は個人の適合性のウェイトは大きいよねぇ
自国大好きなアメリカンは特にこういう傾向がありそうで
欧州ライダーと違って絶対的なGPへの憧れや目標は希薄なのかも
今更な話だけど、アメリカにはロレンソ居ないからね(笑)