10月10日、マレーシアで開催されたセパンGPで、みごと総合優勝を果したホルヘ・ロレンソ選手が、これまでのキャリアを振り返りながら、今後の誓いなんぞも立てております。
記事の下の方には、ライバルでもあるチームメイトのヴァレンティーノ・ロッシ選手のインタビューなんぞも載せておきました。ロレンソ選手の優勝についてもチラリと語っております。
ズズッと最後まで、どうぞ!
セパン 『ロレンソ選手の誓い、性格も向上させます』
クアラルンプールのナイトクラブで行なわれていた総合優勝の祝賀パーティーは、月曜の朝まで続いた。
全員が、本当にパーティーに参加していた全員がプールに落とされ、また、ロレンソ選手の近くにいたメカニックや友人らの男性陣が、ロレンソ選手みずからの手で髪を刈られ丸坊主にされてしまった。
モトGPの新チャンピオンことホルヘ・ロレンソ選手が、選手らの宿泊先であるクアラルンプールの国際空港ホテル・パンパシフィックホールに姿を現したのは月曜日の夜。
穏やかな顔、そして、長い夜を越え、あらゆる恐怖や抑制から解放された顔をしていた。
「『We are the Champions』を歌った時が、一番素晴らしい瞬間でしたね(10月10日の午後、プレスルームで歌っている)。
世界チャンピオンになったら、駆け引き上手になって、たくさんの人に感謝しなくちゃね。
でも、チーム全員が、そして僕自身が僕に望んでいるのは、いつもはしないことをすることなんです。クアラルンプールではそれをした。ちょっと時間が経ってから、自分が何をしたかが分かってきましたよ。」
ロレンソ選手がキャリアを振り返りながら、いかにしてチャンピオンになったかを語った。
「これまで難なくやってきたわけじゃありません。レースの外でもたくさんトラブルがあった。まずは自分の父親とね。父に向かってレースには来ないでくれって言うのは難しいことでした。でも、仕方がなかったんです。そうしなければ、自分達は『抹殺』されてたでしょうから。あの頃は本当に大変な時期だったけど、必要な時期でもありました。それに上手くもいった。その後、250ccクラスを制覇しましたからね(編集部注:2006年、2007年に優勝)。
その次に大変だったのは、マネージャーのアマトリアイン氏との別れですね(編集部注:トラウマ的な出来事で、アマトリアイン氏は現在でもドラッグの問題を抱えており、時々、ロレンソ選手の元へ金をせびりに来ると言う)。
それからケガも何回かしたし。だけど、実のところはツイてましたけどね。重症だったことは一度もなかった。自分で思ってたよりも早く成長して、そして、いつもタイミングの良い時にタイミングの良い場所に居合わせてきた。
マジョルカ(編集部注:ロレンソ選手が生まれ育った土地)はとても小さな島で、ライダーになっても国内チャンピオンになれるのが関の山で、世界チャンピオンなんてとてもね。
10才の時にモトクロスをやっていて、ある日、マジョルカ島で一番有名なディーラーの所に行ってたんですよ。その人のお孫さんがアプリーリア50ccカップで走っていて。それってスペインの全サーキットで競い合われていたものなんですが、参加者が15名しかいなかったもんだから、主催者側がライダーを探していたんです。それで、各ディーラーの元へ新人ライダーを連れてきてくれって依頼が届いた。まだ僕は出場年齢に達してなかったんだけど、父が出場に賛成してくれて。それで父がバルセロナのアマトリアイン氏の所へ、僕のトレーニング風景を撮ったDVDを持って行ってくれたんです。でも、アマトリアイン氏からは、もう参加人数は揃ったからって言われて、DVDにも興味を示してもらえなかった。それが、もう偶然と言っていいような状況で見てもらえて。よほど印象に残ったらしく、翌日、父に電話をかけてきて、バルセロナに戻って来るようにと言ったんです。契約書にサインしましょうって。
アマトリアイン氏とは上手くいって、年々成長していけました。欧州チャンピオンになるまではね。その時点で、ジャンピエロ・サッキ氏(編集部注:当時のDerbi社の社長)から連絡をもらったんです。たくさんライダーがいたんですが、最終的には僕が選ばれました。Derbiのマシンで4レース勝って、それから250cc…そしてヤマハに辿り着いた。運命の分かれ目で、いつも僕はツイていたなぁって思います。」
子供の頃のロレンソ選手にとっては125ccは500ccに思えたのだと。
「僕にとって、青木選手と上田選手とチェッキネッロ選手は、ドゥーハン選手に相応しますね。3人とも、排気量を切り離してもヒーローでした。僕にとっては125ccクラスでのタイトル獲得が最高だったかもしれない。250ccクラスでの時は、もう期待していた以上を手に入れてました。でも、まだ19才だったし、もちろんリタイアすることなんかできなかったし。それに好きなことをやっているわけだしね。そうして、この間の日曜日、モトGP総合優勝を果したわけですよ。250ccよりもさらに重要なモトGPでね。」
ロレンソ選手はこれまで自己鍛錬に励んできたと言う。そして今、あることを誓っている。
「普通、ライダーって言うのはサーキットでの能力を向上させてゆこうとするものです。だけど、僕はサーキットの外の方をね。僕は何がなんでもこの点を向上させなければならなかった。当初、僕は僕の父のような態度を取っていました。とても冷淡で、笑顔一つ浮かべずね。これじゃ人から好かれないですよね。特に、自分自身が楽しくない。笑顔でいるのは好かれるものだし、そう言うことに時間や気持ちを使うべきですよ。時にはありがとうって言葉を口にしてね。このことを毎日の生活の中で学んだし、今後、向上していければと願ってます。」
以上、世界チャンピオンの言葉でした。
(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事: Moto.it 2010年10月13日)
それでは、ホルヘ・ロレンソ祝優勝
笑顔クリックPrego
そして、おまけ!
ヴァレンティーノ・ロッシ選手のインタビューも付けておきますね。
10/14付け『La Repubblica』紙に載ったもので、今週末のオーストラリア戦へ向けての内容などなどです。
ロッシ選手にお聞きします。ホルヘ・ロレンソ選手は総合優勝に値するのか…等と陰口が出ているようですが。
「(今季は)僕にとって特殊なものだったって言うのは明らかなことです。足の骨折で4レース欠場してしまった。しかし、ホルヘは100%総合優勝に値してますよ。他のすべての優勝選手と同様にね。その件に関し、なんら疑いはありません。」
しかし、茂木とセパンのレースでのM1機同士の戦いでは話になりませんでしたよね。
「僕としては、自信を取り戻すことが大切でした。勝利をですよ。セパン戦では完璧なレースをしました。あの暑さと、なるようにまかせた肩にもかかわらずね。そのうえ、3戦立て続けで、また肩が痛み出して、深刻になるんじゃないかって恐さはありますよ。どちらにしろ、僕の目標は変わりません。」
残り3戦については…。
「全戦とも良い戦いになるでしょう。僕は勝利を狙って、不運だった今季を笑顔で終わらせるつもりで走ります。」
今回のオーストラリア戦の見込みははっきりしてますよね。
「素晴らしいサーキットですよ。海辺を走るって言うのは、スゴくときめきますね。TV観戦でもロケーション的に見ごたえがあると思います。そしてトラックはスピードが乗って、楽しいしいものだし。ここではいつも調子良いんですが、2005年以来1位になってないんですよ。再スタートってことになるかなぁ。」
一番の思い出は?
「なんと言っても2004年の総合優勝ですね。ジベルナウ選手との接戦後、初めてのヤマハでのタイトル獲得でしたから。」
今回の対戦相手は?
「ストナー選手ですね。ここでは、いつも優勝候補ですから。ここが彼のホームだってことだけじゃなく、ドゥカティもここでは速いんですよ。」
ロレンソ選手は総合優勝決定後、リラックスし過ぎだと思われますか?
「絶対ないですね。僕はいつだって勝つために走ってきた。総合優勝が決まってからだってね。いや、むしろ、タイトルがかかっていない今の方が、もっと夢中になれるでしょうね。僕達はライダーです。本物のライダーと言うのは、常に勝つためにスタートを切るものです。だって楽しいですから。それから、良く言うように、名誉の問題ってやつでしょ?」
(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:La Repubblica 2010年10月14日)
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Chiricoさんボンジョルノ!2回目の書き込みです。今回も楽しく読ませていただきました。
私はテニスのナダルのファンなのですが、ナダルもマジョルカ島出身なんですよね。あんな小さな島から今年だけで世界王者が2人も出るなんて、すごい島だ…。
陽気な感じのナダルと対照的にロレンソはちょっと陰があるというか、ぶっちゃけネクラ?的雰囲気なのは否めませんが、富沢くんへの哀悼の意や茂木でのおちゃめなヘルメットなど人間味あふれる面も垣間見られますし、私の中では結構好印象です(^^) あらためて総合優勝おめでとう!
Chiricoさんボンジョルノ!2回目の書き込みです。今回も楽しく読ませていただきました。
私はテニスのナダルのファンなのですが、ナダルもマジョルカ島出身なんですよね。あんな小さな島から今年だけで世界王者が2人も出るなんて、すごい島だ…。
陽気な感じのナダルと対照的にロレンソはちょっと陰があるというか、ぶっちゃけネクラ?的雰囲気なのは否めませんが、富沢くんへの哀悼の意や茂木でのおちゃめなヘルメットなど人間味あふれる面も垣間見られますし、私の中では結構好印象です(^^) あらためて総合優勝おめでとう!
ロレンソは悪い奴じゃないと思うんだけど刺があるから好かれにくいのかも。 ロッシも刺はあるけど陽気なイタリアンが幸いしてそれをオブラートに包む事が出来てる。
一番分かりやすい例は今回のヤマハとの決別の手紙かな。 表面上は感謝を書いてるけど、文面を良く読むとヤマハ自体に感謝してる訳じゃない。 ヤマハの中でも世話になった人との人脈は大事にしつつ、M1に関する想いでは実は痛切にヤマハに皮肉を言ってるんですよね。 実に巧いなと思った手紙でした。
この手の外交手腕の点ではストーナー・ロレンソは上手くないですね。 ヘイデン・ペドロサの方が上手です。 まぁ~性格的な部分も大きく影響してるとは思いますけどね。(^^;;
ロレンソは悪い奴じゃないと思うんだけど刺があるから好かれにくいのかも。 ロッシも刺はあるけど陽気なイタリアンが幸いしてそれをオブラートに包む事が出来てる。
一番分かりやすい例は今回のヤマハとの決別の手紙かな。 表面上は感謝を書いてるけど、文面を良く読むとヤマハ自体に感謝してる訳じゃない。 ヤマハの中でも世話になった人との人脈は大事にしつつ、M1に関する想いでは実は痛切にヤマハに皮肉を言ってるんですよね。 実に巧いなと思った手紙でした。
この手の外交手腕の点ではストーナー・ロレンソは上手くないですね。 ヘイデン・ペドロサの方が上手です。 まぁ~性格的な部分も大きく影響してるとは思いますけどね。(^^;;
さっちさん、またまたコメントありがとうございます!
ナダルって聞き覚えがあると思ったら、イタリア紙にロレンソ選手の素顔が紹介されたた時、《同郷の有名テニス選手ラファエル・ナダルは友人》って書かれてました。
「これからは笑顔でいこう」って思うぐらいだから、本人もちょっと暗いかなぁって思ってたんでしょうかねぇ。
伊紙ばかり読んでると、ロレンソ選手に関しては手放しでポジティブな記事って少ないんで、もうちょっとスペイン紙の方も見るようにしようか…とも思ってます。
さっちさん、またまたコメントありがとうございます!
ナダルって聞き覚えがあると思ったら、イタリア紙にロレンソ選手の素顔が紹介されたた時、《同郷の有名テニス選手ラファエル・ナダルは友人》って書かれてました。
「これからは笑顔でいこう」って思うぐらいだから、本人もちょっと暗いかなぁって思ってたんでしょうかねぇ。
伊紙ばかり読んでると、ロレンソ選手に関しては手放しでポジティブな記事って少ないんで、もうちょっとスペイン紙の方も見るようにしようか…とも思ってます。
そうそう、machcatさん、ロレンソとロッシと言うのは実は良く似た性格で、ロッシの方は公私を上手に使い分けられるから明るい好青年風に見えるし、ロレンソの方は常に全部吐き出しちゃうから悪童扱いされちゃう…なんて言ってるイタリア人もいました。
ペドロサなんか、ボォーとしてるようでけっこう煙に巻いてる感はありますよねぇ。
面白そうなインタビューがあったら、その他の選手達のも、ぜひ訳してみたいんですが。
そうそう、machcatさん、ロレンソとロッシと言うのは実は良く似た性格で、ロッシの方は公私を上手に使い分けられるから明るい好青年風に見えるし、ロレンソの方は常に全部吐き出しちゃうから悪童扱いされちゃう…なんて言ってるイタリア人もいました。
ペドロサなんか、ボォーとしてるようでけっこう煙に巻いてる感はありますよねぇ。
面白そうなインタビューがあったら、その他の選手達のも、ぜひ訳してみたいんですが。