『ニコ・チェレギーニ:あれから10年、アベは今でも皆の胸に』
★イタリアの有名2輪レース・ジャーナリスト、ニコ・チェレギーニ氏の最新コラム。
《皆さん、こんにちは!
今から10年前、2007年10月7日、全オートバイファンの魂を揺さぶった日本人レーサーが逝ってしまった。
ノリフミ・アベのことだ。
イタリアに訃報が届いたのは、事故の翌日だった。
カワサキ市の4車線道路をオートバイ走行中、突然、Uターンしてきたトラックに轢かれてしまったのだ。アベはブレーキをかけることさえできなかったと言う。
おそらく、若い読者の皆さんにとっては、初めて目にする名前だろうか。しかし、アベは破格ライダーだったのだ。
1993年、わずか18才で日本選手権500ccクラスでチャンピオンとなり、その翌年の鈴鹿GPでは真っ赤なホンダ機を駆り、ワイルドカードデビューを果たした。そして、あのシュワンツやドゥーハンらと競り合い、結局、レース終盤に濡れた路面で転倒リタイヤしてしまう。
当時、15才だったヴァレンティーノ(ロッシ)は地元タヴッリャで、私がTVでやっていたモトGPニュースをいつも見ていたそうで、この日本人ライダーに…スラリと背が高く、抜け目のない印象を振りまき、長い髪をヘルメットからなびかせていたアベに憧れ、みずからを『ロッシフミ』と名乗ることにしたのだとか。
日本と言う国はロードレース世界選手権に素晴らしいマシンを送り出しているが、しかし、ライダーには恵まれていない。
2010年のミザノGPではトミザワ(ショーヤ)が他のマシンに轢かれて亡くなり、2003年の鈴鹿GPではカトウ(ダイジロウ)が不可思議な転倒事故で亡くなっている。
1995年のSBKアッセン戦ではナガイ(ヤストモ)が、そして、その2年前のヘレス戦ではワカイ(ノブユキ)が観客を避けようとしてピットレーンで転倒し、亡くなった。
では、さらに有名な日本人ライダーを挙げてみよう。
多くの日本人ライダーらが世界チャンピオンになっている。まずは1977年にカタヤマ(タカズミ)、そして、サカタ(カズト)、アオキ(ハルチカ)、ハラダ(テツヤ)。そして、先程あげたカトウに、最後が2009年のアオヤマ(ヒロシ)だ。
ちなみにノリフミ・アベも500ccクラスでタイトルを取れていたはずだし、日本が最も期待していた選手だったのだ。まさに将来を嘱望された第1号ライダーだった。90年代初頭にホンダHRCを率いていたタケオ・フクイが、どれだけアベに夢中だったかは良く覚えている。フクダ氏が、こう言っていたことがあるのだ。
「ホンダのライダー養成所に17才のライダーがいるんだが、これがまた実に良い選手なんだよ。賢い若者でね、もう500ccに乗ってるんだが、いずれ皆さんもアベと言う名前を耳にするでしょうね。」》
ノリックことアベ・ノリフミに何が起きたのか詳しくは知らないが、94年にホンダ機での鈴鹿GPデビュー後、急遽、同シーズン終盤にケニー・ロバーツ率いるヤマハへ移籍したのだ。
もしかしたらホンダはかつてそうしていたように世界選手権へのマージンを取ろうとしていたのか、もしくは才能が枯渇してしまうことを恐れたのか。
とにかく、アベは1996年、紅白のYZR機で最高峰レース優勝を遂げた(1999/2000年にも1勝ずつあげている)。
その後、ウェイン・レイニーのチームへ、そして、ルイス・ダンティンのチームへと移った後、SBKに参戦したのだが、残念ながらホンダとはいかなる関係も持つことができず、あれだけ期待されていたにも関わらず、アベがビッグ・チャンピオンになることはなかった。
アベと言えば、その勝利もさることながら、あの笑顔が、そして、抜け目のない瞳、独特のライディングが…高速コーナーでも胴体を起こし、カウルの上に高々とヘルメットが見えていた姿が我々の胸に残っている。
ヴァレンティーノはいまやロッシフミとは名乗らなくなったが、アベのことを忘れてはいない。2008年シーズン末には8回目のタイトルを獲得し、アベに捧げていたのだから。
(2017年10月10日『Moto.it』記事参照)
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ノリックには関係ないですが、文中のアオキはハルチカでしょうね、実績から考えて。
直しておきました。
本当に有難うございますね❤
ノリックはセブンイレブンのトラックにやられたんだよな。ニュースでは企業名を映らないようにセブンイレブンは隠蔽しやがった。
そう、セブンイレブンの店舗に商品を配送中のトラック・・・。今でもドライバーの名前まで覚えている。
その後、配送先が新規開店の店舗で、そもそも配送スケジュールに無理があったことなどが徐々に判明した。
但し、ほぼ全ての報道で、スポンサーとしてCMを出稿する7-11及び広告代理店に配慮して、企業名や店舗名は伏せられたままだった。
川崎なら都内からそう遠くないので現場に行こうか迷ったが、今更何も出来ない自分が行っても迷惑になるだけかと思い、自宅に留まった。
めそめそしながら掲示板に時折あげられる画像を注視し、書き込みを通して同士たちと語らい夜を過ごした。
あれから10年経ったんだね。日常では単車を降り、7kg太り、いつの間にか 7-11に金を落とすことを気にしなくなってしまった自分がいる。
そしてそんな自分を情けないとも思わなくなっていることが哀しい。
いかんせん、開発能力がアレだったからなぁ
全日本タイトル獲った最終戦で他の選手が大幅にタイムを更新しているのに
阿部はちょっとだけしか上げれなかった
あの数字を見せられたらホンダの体質からしてWGP参戦は無理だったろう
ただライディング能力はあるから4ストで様子見していた(記録はサッパリ)ら
YAMAHAから声が掛かったので移籍という形になった
ホンダにもっと余裕、例えばバイクブームがまだ続いていて国内に収益の場があったら
ホンダでのWGP参戦は可能だったかもしれない
しかもデータは無視してwその時にマシンがコースに合えば優勝も何回かは可能だった筈
未だに94年鈴鹿の走りが記憶から離れないがあのライディングをもう何回かは観れたのでは
ないかと思う
チャンピオンは無理だったとしても