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ビアッジvsチェカの『バック・トゥー・ザ・フューチャー』対決

WSB『ビアッジvsチェカ:バック・トゥー・ザ・フューチャー対決』

4月17日のアッセン戦で我らが目にしたマックス・ビアッジとカルロス・チェカの対決は、モトGP好きにとってはそう目新しいことでもない。

イタリア人ビアッジとスペイン人チェカの二人は、実は1999〜2002年までの4年間、互いにマルボロを背負ってヤマハを駆った同志なのだから。

チェカとビアッジは良いチームメイトだった。当時は、まだヤマハが『一人は万人のために、万人は1人のために』と言う哲学を掲げ苦境にあった時期で、8台のワークスを抱え労力を散らしてしまっていたのだ。

それでも両選手にとっては、満足できる状態ではあったのだ。ただ、チェカが勝利に恵まれることはなかったのだが。順位だけならばビアッジの方は1位に8回輝いている。

ヤマハ時代のビアッジは2001年と2002年に2位を、1999年に4位、2000年に3位を獲得している。一方、チェカの方は2002年の5位が最高リザルトだった。

当時のヤマハは、現在のようなものではなかった。500ccにおいては常にホンダに遅れを取り、モトGPになってフルパワーキャブ仕様ではない4ストロークを試み始めてからも然り。

当時、ボックス内にはびこっていた苛立ちにもかかわらず、ビアッジとチェカは良いチームメイトだったと言えるだろう。まぁ、チェカの人柄の良さのお陰で、ある意味、その後のニッキー・ヘイデンとも上手くやれたのだが。

ビアッジはホンダに鞍替えし、チェカの方はその後2年ヤマハに留まることとなる。そのうち2004年にはヴァレンティーノ・ロッシが移籍してきているのだ。ただ、ここまでの間にワークスとサテライトの差と言うものが生まれてはいたのだが。二兎どころか…多くを追いすぎる者は一兎も得ずと言うことに、ヤマハが気づいたのである。

この2004年は、カルロス・チェカにとって真のワークスマシンを頼りにできる初めての年となった。サテライトチームと言う仮面は被っていたのだが。

アッセン戦でのような対決を、おそらく、また観ることができる。正当な対決となるだろう。元チームメイトで奇妙な友達ライバルの二人は、互いをかたわらに置くことに慣れているのだから。

2001年には3度も、追いつ追われつしてゴールしたことがある二人なのだ。

フランスのル・マン戦では、ビアッジが3″266の差でチェカに先行してゴールを切っている。そしてなんと、この時、3位だったのが、あのヴァレンティーノ・ロッシ。

ドイツのザクセンリンク戦でも、3″249の僅差でビアッジがチェカの先を行き、その際の3位は中野。
シーズン最終戦のリオデジャネイロでは、この盟友対決においてチェカがしっぺ返しをくらわしている。惜しむらくは2位に終わったと言うことか。
そしてこの時、疾風チェカと競合い、勝利に輝いたのがロッシだったのである。

マックス・ビアッジ

MotoGP: 1998〜2005年

1位 13回

2位 26回

3位 19回

最高総合順位: 2位 3回 (1998、2001、2002年)

カルロス・チェカ

MotoGP: 1995〜2007年

1位 2回

2位 14回

3位 8回

最高総合順位: 4位 1998 年(Honda)



(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:Gpone 2011年04月18日





アッセン戦第2レースでは
チェカとビアッジが本当に凄い競合いをしたそうなんですが…
管理人、みごとに昼寝落ちしてしまいました。


ビアッジ&チェカの大人の友達ライバル対決に
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